傾聴は同情にあらず。同情も同情にあらず。
「あなたのお気持ち、痛いほどわかります」
……ホントかよ。いいのか?そんなこと言っちゃって。
傍で聞いてる僕一人がドキドキ。
さらには、
「わかるわー、いやワタシもね」
おっと、今度は自分の体験談話し始めたよ(汗)
〇〇さん、ちょっと。ちょっと。
「何?今カウンセリング中。」
いや、それはわかっているんですけど、〇〇さん、あのね…「け・い・ちょ・う」
そう「傾聴」。
クライアントの話に耳を傾け、問いを発して、欠けたパズルのピースを揃えていく。
それが「傾聴」。←だと私は思っています。
でも、自分の話はクライアントの中のどこを探してもありませんよね。
それをクライアントに聞かせてどうしようっていうんだろう。
自分の話をクライアントに聞いてもらうカウンセラー?(笑)
中にはクライアントに自分の傷を見せて、ともに慰め合おうとする人もいます。
でもそれは、「傾聴」ではなくて、「同情」ですよね。
同情してしまっては、クライアントの状況を俯瞰して客観的なアドバイスを行うことはできそうもありません。同じ視点で堂々巡りを繰り返すことになりそうです。
もちろん、そうやってクライアントの気持ちを発散させようという意図がある方もいらっしゃるのかもしれませんが、私が知っている人たちはそれで毎回迷路に迷い込んでいます(笑)
それでは、クライアントにあまりにも申し訳ない。
傾聴は同情にあらず。せっかくお話ししてくださるクライアントに、がっかりして帰ってもらいたくないですものね。ここはしっかりと肝に銘じる私であります!
そうそう、自分の話はクライアントの中にはないといったついでにもうひとつ。
Aさんが「青い椅子」と言ったとします。
それを聞いたBさんが、「青い椅子」を頭の中に思い浮かべます。
さあ、AさんとBさんがイメージする「青い椅子」は、同じでしょうか。
まず同じことはないですね。足の本数や形が違ったり、座面や背もたれの形が違ったり。
背もたれは無いかもしれません。
シュッとしているのか、ドーンとしているのか。
素材は?
より詳しく説明すれば、だんだん近づいてくると思いますが、それでも一致させるのはかなりの苦労が必要だと思います。
もちろん、普段の会話の中でそこまでやる人はナカナカいないでしょう。いるとしたら、「うわっ、こまかっ!」とか言われちゃうかもですよね。
裏を返せば、コミュニケーションを取り続けるうちに、お互いの脳内イメージはどんどんずれていくわけです。
自分の中で「椅子」とはどういうモノか。「青」とはどんな色か。
それは、自分の今日までの経験がモノサシになって、具体的にイメージされていくわけですね。
いつか見た青空の「青」。大好きだったおじいちゃんが座っていたあの「椅子」。
でも、同じ経験を相手がしているわけがない。
だから、自分と同じ経験をしているはずがない相手に、自分の気持ちを100%わかってもらえるはずがない。つまり、あの人と全く同じ感情を共有できるわけではない。
つまり、「同情」も、「同じ」情ではないと、私は思います。クライアントにお話を伺いながら、自分の人生を振り返ってあのときの気持ちを思い出しているだけ。
だから、底なし沼にはまって身動きとれなくなっているクライアントの隣で、わざわざ自ら同じ沼にはまって「苦しい!」と叫んでガッカリさせたりしないよう、クライアントがその底なし沼から抜け出すために手を差し伸べられるよう、理解(わかる)はするけど同情(わかるー!)はしない、私なのです。
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