最後の切り札は、「逃げる」。
ここのところ、公私ともに忙しく、ブログをさぼっていました。
こんにちは、佐々です。
プライベートでは畑仕事を始めました♪
猫の額のような市民農園ですが、素人には十分すぎるほどたいへんです(笑)
さっそく石灰まきすぎました(笑)
仕事は、アホのように忙しいのですが、これまたアホのようにプリミティブなやり方を強要されているうえ、改善提案をお決まりのようにNOと言われるので嫌気がさしています(笑)
転職したばっかりなんですけどね…。
転職前の会社は、元いた会社が吸収されて超巨大企業になったとこで、傍から見ると有名企業でいいですねって言われることが多かったのですが、先住民に入植者はいじめられ排斥されるのが日常茶飯事。元いた会社でいささか目立った存在だった私は、入植当初から見ず知らずの先住民にまで目の敵にされる毎日でした。
さすがに参って、半年も経たない間に適応障害となり、休職することになりました。
休職してしばらくは、自宅から散歩にさえ満足に行けない状態で、自宅がある高台のマンションが見えなくなるともうたまらず、踵を返して帰宅してしまう。
そんな状況でした。
3か月は休んでても給料が満額出るのを知って(そんな会社だからこんな制度があるんでしょうけど)、3か月で絶対復帰してやると思っていたのですが、同じままの自分では、復帰しても同じ結果しか生まないだろうことはわかっていました。
「この会社が変わってくれることを期待できない以上、自分が変わるしかない。」
そう思って、自分に新しい武器を手に入れなくてはと、探して飛びついたのが、他でもない「NLP」でした。
NLPの入門書のようなものを読み、講座を申し込み、無料の体験会に参加していくうちに、3か月なんてあっという間に経ちました。
しかし復帰後は異動となり、懐かしい顔が多い場所に移ることができたので、そこでリハビリを続けながら週末はNLPの講座に通い続けました。
本当に自分が「変わった」と実感できたのは、つい最近です。
移住し、転職し、うっかり今のブラック企業に入ってしまったことに「しまったー!」と思いながらも、以前のような憂鬱感はありません。
上からどんな、自らの信条を否定するような圧力がかかっても、それでメンタルが折れるようなことはなくなりました。
それどころか、自分の信条の正しさを証明するかのように、自分のまわりが少しずつ、自分の影響で変わってきていることを実感しています。
その違いはどこにあるのか。
「なりたい自分にしか、自分はならない。」
そのことをNLPを通じて知ったから。
「他者は変えられない。」という否定形の思いではなく、
「なりたい自分になる。」という肯定的な強い意志を持つことができるようになったからだと思います。
脳は、肯定形でしか認識できません。否定はまず、肯定形をイメージしてから、それを打ち消すことで認識すると言われています。
つまり、「こうはなりたくない」と強くイメージすればするほど、そのたび「なりたくない」はずのイメージを強く思い描き、気が付けば「なりたくない自分」になってしまう。
側溝に落ちたくない落ちたくないと思っている自転車おばちゃんが、そのままきれいに自転車ごと側溝にハマるのは、きっとそういう仕組みなんでしょうね(笑)
だから、悩みから抜け出す秘訣は、その悩みの原因を考えて「そうはなりたくない」と思うのではなくて、「なりたい自分」を強くイメージしていくことにあるんです。
これは、やったことがない人にはなかなかわかりにくいことですが、一度経験するとわかります。
そしてもうひとつ。
「耐えられなくなったら、逃げればいい。手の届かないくらい遠くへ。」
それは、自分が復帰しリハビリを重ねる中で到達した結論です。
逃げることがいけないなんて、よく考えればおかしな話です。
命を守る、大切なものを守るために、一目散に逃げるのは、動物の本能なのですから。
だから、これからも私は、自分の「なりたい自分になる」ことを最優先しながら、今の環境でそれに行き詰ったときは、とっとと逃げると決めています。
そして、逃げた先で、また「なりたい自分」への道を歩き始めればいいんです。
先日、息子が小学校に通い始めました。
さっそく、気に入らないことがあったみたいです(笑)
ふでばこを取られた、登校中に上級生にランドセルのカギをあけられた。
どれも興味関心の表現であったり、いっしょにふざけあいたい衝動であったりするものですが、他にやること(息子は班長さんについてまっすぐ歩くのに必死です(笑))があって、それどころではない人にとっては、煩わしく嫌なことこの上ないですよね。
それは、息子のことを心配する、ちょっと過保護気味のママにとっても同じ(笑)
とうとう学校に行きたくないと言い出した息子に、妻は登校についていくと言い出しました。
現場を観なければ気が済まないなら、それもいいでしょう。
その時、私からは息子に、こんな言葉をかけました。
「もし我慢できなくなったらパパに言え。パパは『じゃあ、諦めよう』って言うから。そしてパパとママとおまえとで、その嫌なことからいっしょに逃げよう。逃げて、嫌なことのない新しい場所で、また始めよう。だから我慢できなくなるまでやったんさい。」
そして妻にはこう言いました。
「息子に聞いたか。自分の受け取り方と息子の受け取り方は決して同じではない。話したくない様子でも、質問を変えて、粘り強く聞き出す努力をするのは、親として最低限の務めだ。思い込みだけで親として勝手な判断をしないこと。大人と子どもの見ている景色は同じじゃないってことを忘れないこと。」
子どもって、嫌なことは思い出したくないから「わからない」って言いがちですよね。それをそのままにして、親は自分の認識だけで判断しがち。
しかしそれを続けると、どんどんと子どもの本心がわからなくなってしまって、いつしか親のわがままを押し付けるだけになってしまいかねません。
子どものことを心配するあまり、一刻も早くその原因を取り除きたいのは私も同じですが、一刻も早くその原因が「解決したことにしようとする」のとは、意味が違います。
それでは、何も解決していない。親が都合よく目をそらしたに過ぎない。
苦しくても、親は子どもの不都合な真実から目をそらしてはいけません。
ただ、その不都合な真実に対処しきれなくなったら、その不都合な真実が手に負えないほど強大だったら…
逃げましょう。家族みんなで逃げて、安全な環境まで逃げて、そしてそこで笑って暮らせばいいんです。
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